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【はじまりのひに。】

【はじまりのひに。】

源泉は指定されたバーに約束の5分前に潜り込んだ。

昼間でも薄暗いそこはうっすらとタバコの煙で霞がかり、暗さも相まって点在するテーブルに人がいるのかどうかもあやふやだった。
飲む気にはなれなかったが、形だけでも酒を頼みもはや無意識になった仕草で胸ポケットからタバコを出し口にくわえ。
少し迷って火をつけるのはやめた。

そうしていると男が一人。いつの間にか源泉のすぐ近くにいた。
男は気配を消して近づくと、テーブルに酒を置き源泉を無言で見やった。
源泉が軽く手をあげると、微かに頷く。それが彼の挨拶がわりの仕草だと、いつの間にか源泉は覚えてしまっていた。
源泉が口につける気も無かった酒を目の前の男は一気に空ける。

わずか数年前まで、彼は『イグラ』の『ヴィスキオ』の『王』と呼ばれていた。
『王』は一度死に。
そして、今ここにいる。

「アキラはどうした?」
「休ませている。昨日からまたあまり体調がおもわしくない」
「あぁ、やっぱりな。ここを指定したのもシキ、お前さんだろう。ここなら今のアキラを来させることができないからな」

相変わらずの癖のようにシキは皮肉げに口を歪め否定も肯定もしなかった。

「それに、見張りを一人つけている。いくらあいつが無茶をしてもかなわんのをな」
「…おいっ、」
シキのその言葉に源泉は顔をしかめたが、当のシキは気にもとめない。直接源泉もアキラから聞いたわけではないが、トシマで彼らになにかがあった、それだけはうっすら気が付いている。

「アレには俺もきっとかなわん。だが、アキラは滅法強い」

まるで謎解きのようなシキの言葉にますます源泉の顔はしかめ面になる。

「3日前に閉鎖地区でガキを拾った。持って帰ってみたらいたくアキラを気に入ったらしい。まぁ、アキラも満更ではないらしく始終べったりだ。まったく…忌々しい」

「そりゃぁ、お前さん…」

その感情は源泉にも理解できる。実際に、もうずいぶん昔彼もそうやっていたから。ただし、源泉は笑っていたが。シキは眉をひそめたままだ。

「子どもを盾にしてきたのか。……かなわんな。………だがな、おい」

そこで源泉は気がつく。今日顔を合わせたのは世間話をするためではない。
源泉は『仕事』をしに来た。彼ら二人からの依頼を果たすために。

「時間はかかってもかまわん、ニホンの脱出ルートに子ども一人分を増やせ」

「…無茶を言う」

「貴様ならできると踏んで依頼した」

相変わらずのその態度に呆れるよりももはや感心するしかない源泉は飲むつもりのなかった酒を一口煽る。復興が始まった、と言われるニホン。

それでも、国から外へ出るために正規ルートを使うことはほとんど稀だ。そもそも、アキラ自身のことがばれてしまえば正規ルートを通ったとしても国内から出してもらえるかどうかもあやしい。

いまでは研究機関もなにもかもなくなってしまったけれど人間兵器である「ニコル」とその対の血をもつアキラは政府が喉から手を出しても欲しい存在だろう。それでも、正体不明のウイルスキャリアーであるアキラにも少しずつその血の毒がまわりだしていた。

少しずつ蝕まれていく体に気がついたのはシキだったのかアキラ自身だったのか分からないけれど。たしかにそれはアキラの体のなかで渦巻いていた。

だからこそ、源泉はふたりがニホンから出るという意志を持った時にひどく喜んだ。いつまた大規模な戦争がおこるかもわからない現状でここにいれば常に戦いや死と隣り合わせになることは当然だ。己を守るための戦いと戦争は違う。それは、ただの国のエゴに他ならない。

そんなものにこれ以上彼らが振り回されることなどはなくてもいい。そう、源泉は心から思う。

だからこそ、表のジャーナリストのつてと。

裏での情報屋のつてを使ってでも彼らのための脱出ルートを確保した。それが、シキのいう「依頼」。

「簡単に言うなよ、これでも結構大変なんだぞ」

「わかっている、だから『待つ』」

「…まるくなったもんだ」

つぶやいた言葉が聞こえてないことはないだろうが、敢えてシキは聞こえなかったことにするらしく何も言わなかった。これも変わったことだ。きっと昔の彼なら今頃源泉の体は上半身と下半身が別れていたことだろう。

「あいつに感化されただけだ」

憎まれ口のような言葉に源泉は笑った。それでいい。

「あぁ、良いことだ。…そうだな2週間待っていろ、どうにかする」

「……大した自信だ」

「お前さんほどじゃぁない。まぁ、これは…オヤゴコロみたいなものだ」

うしなったもの、もうとりかえしのつかないこと。それを抱えてここまで来た。それは、おそらくシキも。そしてアキラも。もしかしたら源泉以上に抱え込んでいるのかもしれない。

だから、源泉は彼に出来る精いっぱいで彼らの道行を支えるしかない。いや、それができただけでもありがたいくらいに。

「しばらくは今のところで生活しているだろう。ルートが確保できたら報告に来い…アレを外に連れ出すくらいならお前が来たほうがいい」

素直じゃないシキに源泉は今度こそ隠さずに笑った。

大丈夫だ。これから先。遠い未来が彼らの前にどう現れるかは分からないけれど。きっと大丈夫だ。もう、覚悟はできている。だからせめて、幸せであるように。

それだけは願わずにはいられない。

いつだったか。

源泉はアキラに聞いたことがある。己の選択を後悔していないかと。

答えは今、見ているものがそれだ。これから先も後悔なんかかけらもないのだろう。

「じゃぁ、仕事があるから。先に出る」

源泉が立ち上がり、シキは視線だけを動かす。ひどく穏やかな目だった。

「じゃぁ、また連絡する」

会ったときと同じように手をあげて、源泉は歩き出す。

次に会うときは、きっと別れの時でもあるだろう。

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